早野忠昭 × HYDE
早野忠昭

早野忠昭(はやの ただあき)

1958年生まれ。長崎県出身。一般財団法人東京マラソン財団事業担当局長・東京マラソンレースディレクター、日本陸上競技連盟総務企画委員、国際陸上競技連盟ロードランニングコミッション委員、スポーツ庁スポーツ審議会健康スポーツ部会委員、内閣府保険医療政策市民会議委員。1976年インターハイ男子800m全国高校チャンピオン。筑波大学体育専門学群卒業後、高校教論、アシックスボウルダーマネージャー、ニシ・スポーツ常務取締役を歴任。

HYDE

HYDE(ハイド)

L'Arc-en-Ciel/VAMPSのヴォーカリスト。メジャーデビュー以降、多くのヒット曲を生み出す。2001年からソロ活動をスタートし、日本のみならずワールドワイドに活動している。ニューヨーク Madison Square Gardenや国立競技場などでのライヴ実績もあり、日本において最も世界で活躍しているアーティストの一人。2019年5月に最新ソロアルバム「ANTI」をリリースし、積極的にライヴ活動を展開中。

HYDEさんがアメリカへ挑戦し続ける理由

早野 ■
HYDEさんはソロでアメリカに挑戦しようとされている真っ只中ですよね。
HYDE ■
最初は、僕たちのファンが世界中にいたので、純粋にみんなに会いに行ったって感じですね。それこそ音楽ってこう……
早野 ■
国境がない。
HYDE ■
そう、実際に向こうでライヴをすると、国境がないことを実感するんです。言葉も宗教も、いろいろなことを越えて、音楽だけが残るというか。
早野 ■
音楽で意思疎通ができるんですね。
HYDE ■
その事実にもっとも感動したのが僕自身なんです。日本の文化は海外でも評価されているのに音楽は、あまり外に出ない印象があって。「なんでミュージシャンは外に出ないんだろう?」っていう違和感があったんですよ。だから、「僕はもっと外に出よう」と。あと、僕が今新しい音楽をどんどん作っても、「どうせL'Arc〜en〜Cielのhydeでしょ?」って勝手に想像されて聴いてくれない人もいると思ってます。熱心に追いかけてくれるファン以外の人たちにどうやってアピールするかを考えた時に、今は海外の人が評価してくれることが日本でのイメージを変えるキッカケになると思ってます。ちょっと遠回りですけど、そういう意味では海外に行くことは全ての面でプラスになるし、さらには、日本のカルチャーを外へ広げることにもなると思うんですよね。
早野 ■
文化を外へ広げていくために、音楽の中で実践されていることって何かありますか?
HYDE ■
うーん、これまでは単独ライヴばかりやってきたんですけど、最近はフェスにも積極的に出るようになりました。特にアメリカとかではアウェーなんですけど、ただの新人なんで、これまでの先入観なく評価してくれます。
早野 ■
アメリカではHYDEさんのことを知らない人も多いくらい?
HYDE ■
そうですね。客層もありますけど、ほとんど知られていない中でライヴをするのはかなり刺激的ですよ。「こいつらをどう唸らしてやろう」って燃えます。
早野 ■
チャレンジャーですね。
HYDE ■
そういう経験の積み重ねこそが、「広がっていく」ことなんだなと実感しています。今はやっていてすごく楽しい。最初はもちろんビビッてましたけどね。
早野 ■
最初の挑戦のモチベーションはどこにあったんですか?
HYDE ■
そうですね……純粋に自分のアーティストとしての可能性を日本だけではなく追求してるって事ですかね。

原点回帰としての今の活動

早野 ■
アメリカでの拠点はどちらなんですか?
HYDE ■
ロサンゼルスですね。
早野 ■
なぜロスを選ばれたんですか?
HYDE ■
好きな音楽がロスに多かったのと、日本から近いっていうのが大きいですね。
早野 ■
改めて自分の原点を見つめ直しているという意識はあります?
HYDE ■
あります。自分が初めて音楽を好きになった時の気持ち、あるいは初めて作りたいと思った気持ちを、今もう一度経験しています。アメリカではまだ新人なので、ビッグネームのアーティストのサポートとかもやらせていただいて、本当にゼロからです。ここで再スタートすることによって、何かもう一つの人生をゼロから始めている感覚ですね。
早野 ■
そこに踏み込むまでに、躊躇はなかったですか?
HYDE ■
ありましたよ。日本で活動しているようにはお金が入ってこないことだとか。正直、それだとスタッフも困る。僕が働いてお金を生まないと、スタッフがいつまでも僕を応援することは不可能なので。それはある程度シビアに考えていかないと。夢を追うだけでは難しいですからね。
早野 ■
HYDEさんの中で、ご自身の原点回帰としての音楽表現をする頭と、ビジネスの頭は、どういうバランスになっているんですか?
HYDE ■
自分が2人必要な状態をずっと続けてるんですよ。ビジネスの僕と、夢を追う僕。だから、そこでも時間がなくなっていっちゃうんですよね。うまくやれてるかわからないんですけど、それを限界までやることが自分にとって最後の夢かな。
早野 ■
今日、HYDEさんのお話を聞いていて、僕もアメリカに飛び出した時はチャレンジャーだったのを思い出しました。でも僕はHYDEさんのようにやりたいことが明確ではなかった。だけど唯一、かつて好きだったランニングを取り戻したいという感覚だけはあって。30歳のときにアメリカのコロラド州・ボウルダーへ留学したことで、Fusion Runningの考え方を元にすべての人にランニングライフスタイルがある世界を作りたいと思い、今の仕事になっています。今日ここでランニングをしていると告白してくださったこともとても大きなことなので、fuse musicの部分でHYDEさんとも何かご一緒にできる気がします。これを機に、また今まで交わらなかった文化の交流が出来てそれが新しい文化になっていけば嬉しいです。
HYDE ■
それが一番大事なことですよね。

早野忠昭 × HYDE